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ハトに囲まれて

2012年5月20日(日)

龍谷ミュージアムの展覧会を見終えて・・・

1時に京都駅で娘家族と待ち合わせて昼ご飯。
食後は・・・人が多いし、どこかゆっくりできる場所はないかと見渡すと、・・・あった!

ちょっと先にお寺の大屋根が見える。東本願寺だ。
境内に入るとハトがいっぱい。
というわけで、そのときの写真です。





# by koma-jin | 2012-05-20 22:56 | Photo | Trackback | Comments(0)

龍谷ミュージアム「仏教の来た道」

2012年5月20日(日)

京都の西本願寺の向かい側、堀川通りを隔てたところに不思議な外観の建物がある。
龍谷大学「龍谷ミュージアム

今ここで「仏教の来た道ーシルクロード探検の旅-」という特別展が開かれている。

シルクロード・・・そこは、これまで何十冊も本を読み、写真や映像を見て頭の中に想像の世界ができあがっている場所であり、それでも埋められぬ無限の砂漠地帯のような夢の彼方の土地である。

そんな未知の世界の冒険に、今から100年以上前に出かけた日本人がいた。
浄土真宗本願寺派・西本願寺第22世門主の大谷光瑞がその人である。
この探検隊は「大谷探検隊」と呼ばれ、1902年から1914年までの間に、3次にわたって実施された。

大谷光瑞が実際に探検に赴いたのは第1次だけだが、以後も指揮を執り、シルクロードの貴重な文物を多数日本に持ち帰った。
20世紀初頭といえば、列強各国が中央アジアに探検調査隊を派遣した時期である。
イギリスの探検家オーラル・スタイン、スウェーデンの探検家スウェン・ヘディン ドイツの探検家ル・コック、フランスの探検家ポール・ペリオ等々、数えるときりがないほでだ。

当時の探検家たちは、シルクロードで発見・発掘した遺物や文物は、自分のものであり、自国のものであると考えていた。
それらがもともと存在した場所に、朽ち果てぬように保管しようというような考え方は、もっと後のことである。
今回の展示の解説にも、「大谷探検隊が我が国に将来した・・・」というような記述がなされている。
「将来」・・・もってくること(広辞苑)
しかし、それらの遺物や文物が本来あった場所からすれば、それは盗まれたのであり、奪われたのであり、壊されたのである。
実際、たくさんの壁画や仏像が、本来あった場所から引きはがされて、いろんな国の博物館や個人の所有物になっている。

もちろん、各国の探検隊が持ち帰ったお陰で、無事に生き残った美術品もあるだろうが、壁画が無惨に剥がされた石窟寺院の写真を見ると、むなしい気持ちにもなる。
展示されている仏頭のはるか彼方には、首から上がない仏たちが見えない視線を宙にさまよわせているのかもしれない。

大谷探検隊が日本にもたらした貴重な品々を見ながら、そんなことを考えてしまった。

もう一つ、今回の展示は、コンピュータ技術の発展があらたな世界を築いてくれていることを教えてくれるものであった。



この写真は、中国・新疆ウイグル自治区のトルファン郊外にあるベゼクリク石窟寺院の第15号窟の回廊を原寸大で復元展示したものである。
これは、世界各地に散らばっている壁画の断片を撮影し、失われた部分や破損した部分も含めてデジタル処理をして全体をつなぎ合わせて、制作当時の図像と色彩をよみがえらせたものだ。
解説の映画も合わせて、一見に値すると思う。

# by koma-jin | 2012-05-20 19:13 | Art | Trackback | Comments(0)

あと3日で発表!

2012年5月19日(土)

久し振りのブログになる。
時間がなかったわけではないが、来週にひかえているYWCAの発表準備にけっこう手間取った。
日本語教師養成講座の「応用コース」を受講している18名が2人ずつペアになって、「日本語教育」についての課題を、順番に発表するのである。
そのトップバッターに指名されてしまった!

与えられた課題は「動詞」全般についてのあれやこれや・・・
とにかく盛りだくさんで、準備するうちに、資料がA4用紙8枚になってしまった。
これを、90分の授業の前半に約40分で話さなければならない。
いかにポイントを整理して発表するか、ということが重要になる。

まとめたものの中の一部を、ここに記録として残しておきたい。

〈その1〉学校文法と日本語教育の文法における「動詞の活用」の対比
(1) 学校文法について
①学校文法は古典文法の延長線上にあり、「動詞の活用」の基本は「かな」である。
②学校文法では、五十音の「行」と「段」の組み合わせによって、動詞の語形変化を「未然形・連用形・終止形・連体形・仮定形・命令形」の6つに分類する。
③この語形変化のパターンは基本的には3種類あり、それぞれ「五段活用・上一段活用・下一段活用」と呼んでいる。
これ以外に、「来る」と「する」だけは変則的な活用をするので、変格活用と呼んでおり、合計5つの「活用の種類」が存在することになる。
④ほとんどの動詞は「語幹」と「語尾」に分けることができるが、活用の基本が「かな」であるために、「見る」「経る」「来る」「する」のような動詞は、語幹と語尾の区別ができなくなってしまうという難点がある。

(2) 日本語教育の文法について
①日本語教育の文法において、「動詞の活用」の基本にあるのは「音素」である。
②動詞の活用をローマ字表記してみると、すべての動詞に「語幹」が存在することがわかる。
③この方法によって、学校文法の五段活用動詞は「子音語幹動詞」、上一段・下一段活用動詞は「母音語幹動詞」と呼ぶことができる。
また、カ変・サ変の変格活用動詞も、母音が特定されないという特殊性はあるものの、「母音語幹動詞」に入れることが可能である。

〈その2〉動詞の活用形のうち、日本語学習者が、「基本形」(最初に学ぶ動詞の形)だと考えるのは一般にどの形だろうか。また、それはなぜか。

ごく普通に考えれば、学校文法でいうところの「終止形」だと思われる。
終止形は辞書形と呼ばれるように、日本語学習者がその意味を調べるためにも好都合である。
しかし、日本語学習者が最初に学ぶ動詞の形を「基本形」とするならば、日常的な日本語会話を身につけたいと考える学習者にとって、「終止形(辞書形)」は融通の利かない形である。
初期の日本語学習では、丁寧体を用いることが一般的だが、次のように普通体と比べてみると、丁寧体の動詞のほうが明らかにシンプルであることがわかる。

普通体・・・行く       行った     行かない    行かなかった
丁寧体・・・行きます   行きました  行きません   行きませんでした

このように、普通体では、後に来る言葉によって活用形が変化したり、音便変化したりするが、丁寧体では、すべて「行き」だけですむ。
この形は、日本語教育の文法では「マス形」に代表され、学校文法でいえば、「連用形」に当たる。
以上のことから、動詞の活用形のうち、日本語学習者が、「基本形」(最初に学ぶ動詞の形)だと考えるのは「マス形」である。

しかし、韓国のソウル市内にある二つの4年制大学で日本語を学習する学生を対象に調査した結果をまとめたある論文では、教師の「教え方の順序」と日本語学習者の「習得する順序」が、必ずしも一致していないという事実を示していた。
具体的に言えば、動詞活用形の習得順序は、圧倒的に「ル形」が「マス形」よりも先行しているという事実である。
この論文の筆者は、動詞初出時に、原形としてのル形と表出形としてのマス形を同時に学習しなければならないのは学習者の負担であり、形態的にも意味的にも単純なプロトタイプの形であるル形を動詞の初出形にすべきだと考える。
そして、ル形を習得した後にマス形に移行するほうが、学習者に〈丁寧化〉という概念を認識させやすいとも述べている。


我々が日本語を話すうえで、まったく問題にならない当たり前のことが、外国人の学習者には大きな壁になるという事柄がいっぱいあることが見えてきた。
実際に配るハンドアウトでは表形式でまとめた箇所が多いが、完成してから、もっとシンプルにすべきだったと反省している。
発表課題はまだまだあるけれど、退屈なので、これぐらいで終わっておきます。

# by koma-jin | 2012-05-19 23:22 | Japanese Educasion | Trackback | Comments(0)

『ムーン・パレス』続き

2012年5月11日(金)



前回、ポール・オースターの『ムーン・パレス』について書ききれなかったので、もう少し続けてみたい。

最後まで読み終えた後、もう一度冒頭に戻ってみて、最初の10行ちょっとにこの本の内容が要約してあることに、あらためて気づいた。

「それは人類がはじめて月を歩いた夏だった。そのころ僕はまだひどく若かったが、未来というものが自分にあるとは思えなかった。僕は危険な生き方をしてみたかった。とことん行けるところまで自分を追いつめていって、行きついた先で何が起きるか見てみたかった。結果的に、僕は破滅の一歩手前まで行った。」

それは「もうずっと昔のこと」だが、「自分の人生のはじまりとして記憶している」「あのころのこと」を回想する形で、『ムーン・パレス』は書き始められる。

この本では「」が一つのキー・ワードになっている。
冒頭の「人類がはじめて月を歩いた夏」は、アポロ11号が月面着陸して、アームストロング船長が人類史上最初の一歩を月面に記した1969年のことである。

ニューヨークのコロンビア大学に通う主人公のマーコ・フォッグは、2年生になって寮生活に見切りをつけ、アパートでの一人暮らしを始めるが、その部屋の窓から煌々と輝く中華料理店のネオンサインが見える。
そこに書かれている文字は、「MOON PALACE」。

その文字を見て彼はすぐに、当時唯一の血縁であったビクター伯父さんとその楽団のことを思い出す。
伯父はクリーブランド交響楽団のクラリネット奏者として有望なスタートを切ったが、その後格下の楽団を転々と渡り歩き、今は「ムーン・メン」というバンドの一員として西部を旅していた。
そして、この前に所属していたのが、「ムーンライト・ムーズ」というバンドだった。
どちらも「月」に関係する名前だ。

その伯父が旅先で急死し、この世界に一人取り残されたような絶望を感じた主人公は、「自分がなすべき何かとは何もしないことである」というニヒリズムに到達し、「来たるべき破滅」まで極貧の生活を続ける決心をする。
やがてその生活にも行き詰まる日が訪れる。
自虐的になった彼はレストラン「ムーン・パレス」で豪勢な食事をし、その翌日ついにアパートを追い出されることになる。
荷物といえば、ナップザックに入ったわずかな小物と、伯父の残したクラリネットの入ったケースだけだった。

前回も書いたが、行き場がなくなってセントラルパークで暮らすようになり、空腹と病気と暴風雨に痛めつけられて生死の境を彷徨していた彼を助けたのが、学友ジンマーと中国人の美少女キティだった。
キティの献身的な看病のお陰でやっと回復した彼は、彼女と愛し合うようになる。
そしてジンマーから回してもらった翻訳のアルバイトを完成させてその収入を手にした彼は、二人といっしょに「ムーン・パレス」で食事をする。
食後の「占いクッキー」で、彼のクッキーに入っていた占いの言葉は次のようなものだった。

「太陽は過去であり、地球は現在であり、月は未来である」

この後、大学の学生課で彼が見つけた仕事は、盲目で車椅子のトマス・エフィングという偏屈な老人の命令に従うことであった。
彼は老人の家に住み込み、老人に指定された本の朗読を聞かせ、老人を散歩に連れて行った。
老人の話を聞き、老人の自伝を口述筆記した。

老人がかつて知り合いであったという異色画家ラルフ・ブレイクロックの話も聞かされる。
未開拓の西部を旅し、晩年は精神に異常をきたして病院で一生を終えた画家だが、そのラルフに「月光」という作品がある。
老人は、ブルックリン美術館に展示されている「月光」を見てくるように彼に命令する。
彼は、青みがかった白い光を発する丸い月を描いた、その瞑想的な作品に「何かを発見した」ような思いを抱く。

「月」の話だけで長くなってしまった。
主人公マーコ・フォッグは、車椅子の老人トマス・エフィングの死を看取ることになり、その後老人の息子バーバーを探して、老人の生涯の記録と遺産を渡す。
そしてこの巨体のバーバーこそ、マーコの母親とかつて一夜を共にした相手の男だった。

マーコとバーバーは、老人が若い頃に旅した西部に向けて、その足跡を辿る旅に出るが、その途中に立ち寄ったマーコの母親の墓で、マーコはバーバーこそ自分の父親であるという衝撃的な事実を知ってしまう。
動揺したマーコに迫られて、バーバーは新しく掘られていた墓穴に落ちてしまい、運悪く脊髄を損傷したバーバーは、それが原因で、2ヶ月後病院で死んでしまった。

マーコにとっては、偶然に出会うことになった祖父と父親を失ったことになる。
取り残されたような気持ちになった彼はキティに電話をする。
しかし、キティの気持ちはすでに彼から離れてしまっていた。
それはこれ以前の話になるが、マーコの子供を宿しながら堕胎手術を受けたキティの心の傷が原因だった。

再び一人ぼっちになってしまった彼は、何も考えられぬまま、ただひたすら西部を目指す旅をたどることにした。
広大な平原の果てまで車をとばし、老人の冒険談にあったユタ州の町までやって来たが、車と大金を盗まれてしまう。
彼は歩き出した。
我が身に起きた出来事に怒り、憤慨しながら、ひたすら歩き続けた。
やがて怒りは燃え尽き、それと入れ替わりに幸福感が募ってきた。
1972年1月6日、ついに彼は太平洋の見える浜辺に到達した。

「僕は世界の果てに来たのだ。この向こうにはもう空と波しかない。そのまま中国の岸辺まで広がる、空っぽの空間があるだけだ。ここから僕ははじめるのだ、と僕は心のうちで言った。ここから僕の人生がはじまるのだ、と。」

「やがて、丘の向こうから月が上った。満月の、焼け石のように丸く黄色い月だった。夜空に上っていく月に僕はじっと視線を注ぎ、それが闇のなかにみずからの場を見出すまで目を離さなかった。」

# by koma-jin | 2012-05-11 23:40 | Book & Literature | Trackback | Comments(0)

『ムーン・パレス』ポール・オースター

2012年5月9日(水)

ある日、大阪梅田の紀伊國屋の外国文学の売り場。
訳者の名前を見ていると、「柴田元幸」という文字がいくつも飛び込んでくる。
アメリカ文学の翻訳者としては、相当に有名な人物であるらしい。

10年近く前に買った本で、『翻訳夜話』(文春新書)という題名のものがある。
この本の著者が、村上春樹と柴田元幸だった。
当時は「村上春樹」という名前を見て買ったのだが、こんな所で「柴田元幸」との出会いがあったことを、つい先日気づいた。


確か最後まで読み通さないまま、書棚にしまい込まれてしまった一冊だが、この本の後半にとても面白い試みがあった。
レイモンド・カーヴァーとポール・オースターという2人の作家の短編を、村上春樹と柴田元幸の2人が「競訳」するのである。
レイモンド・カーヴァーの作品は『Collectors』。
ポール・オースターの作品は『Auggie Wren's Christmas Story』。
原文も載っているが、それは置いておいて、2人の翻訳を読み比べてみた。
それぞれいいところがあるが、柴田元幸訳は文句なしにうまい!

実はこの人、東京大学大学院の教授が本職である。
だから、翻訳はするが「翻訳家」ではない、と本人は言っている。
しかし、Wikipediaで見て驚いたのは、この人の翻訳した作品の多さである。
たぶん、日本語を読むようなスピードで、英語が日本語に変わっていくのだろう。
何ともすごい人だ。


柴田元幸が最初に手がけた翻訳が、現代アメリカ文学を代表する作家の一人「ポール・オースター」だった。
このたび、初めて彼の『ムーン・パレス』を読んだ。


主人公マーコ・フォッグは、生まれたときから父を知らず、11歳で母を交通事故で亡くし、大学生のときには唯一の血縁であった伯父を亡くしてしまった。
彼は母の事故の賠償金を生活費と学費に充てていたが、やがてそれも尽き、伯父の残した段ボール箱の中の本(1492冊もあった)を読んでは古本屋に売って暮らしたが、ついに売るものもなくなってアパートを追い出されてしまう。
行き詰まったマーコはセントラルパークで暮らすようになるが、自ら生活を建て直す希望も意欲も失っていた・・・。

空腹と病気と暴風雨に痛めつけられ、公園で生死の境を彷徨していたマーコを助けたのは、学友ジンマーと中国人の美少女キティだった。
キティの献身的な看病のお陰でやっと回復したマーコは、彼女と愛し合うようになり、やっと仕事を探し始める。


彼が見つけた仕事とは、盲目で車椅子のトマス・エフィングという偏屈な老人の命令に従うことであった。
この老人との出会いが、天涯孤独のマーコの、自分発見の第一歩となる運命的な偶然だった・・・と読み進んで初めてわかってくる。

# by koma-jin | 2012-05-10 00:06 | Book & Literature | Trackback | Comments(0)

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